1966年6月から1976年9月までの10年間、
私は中国の文化大革命の激しい洗礼を受けることになります。
中国文化大革命の背景には、
国際的にはアメリカのベトナム戦争と中国とソ連の仲たがいがありました。
国内的には、大躍進と人民公社の失策による国民の不満と執行部の焦りがありました。
その直接原因は「海瑞罷官/海瑞罷免」という新京劇でした。
海瑞は明王朝の清廉な官吏で、大衆の尊敬を受けていました。
当時の嘉靖皇帝が奸臣と悪徳官吏の話ばかり聞いているのを見て、
海瑞は見過ごすことができませんでした。
海瑞は死を覚悟して、棺桶を背負って上京し、嘉靖皇帝の腐敗政治を直諫しました。
激怒した嘉靖皇帝はその場で海瑞の処刑を命じますが、よく考えてみると
海瑞のいうのが正しかったので、殺さずに牢屋にぶち込みました。
この京劇が、当時の彭徳懐が毛沢東の左翼的なやりすぎを批判して
罷免されたこととダブり、文化大革命の引き金となりました。
中国の古い言葉に
「强者相斗弱者遭殃/強者の争いに弱者が災難に遭う」のがありますが、
それにしても、この嵐のような中央政権の権力争いに
一介の田舎の我が家が巻き込まれ、
散々な目に遭わされるとはだれが思ったでしょうか。(つづく)
彭徳懐:中国建国者の一人。中国共産党政治局委員、副総理兼国防大臣などを歴任。