みんながっかりして1日中しょんぼりしていると夕食の後
もう一致度集合命令が出された。
「明日アタック出発だ!」
みんな「えっ!」とどよめいた。
明日から吹雪が弱まり、四日目の山頂アタックの20日は
良い天気になるとの判断だ。私が参加したチベット聖山探険公司は
スイスとチベットの衛星天気予報を買っていた。かなり高いという。
だから小規模のパーティーは天気予報が買えず、われらの動向ばかり
偵察していた。この二つの予報と長年の経験による判断だろうが、
みんなの命を預かっている隊長には世紀の判断だったに違いない。
みんなあわてて衛星電話を借りて国に連絡する。日本との実際の時差が
4時間ぐらいあり、家内と連絡が取れなかった私は、香港にいる弟に電話し、
「明日アタック出発し、4日目の5月20日は必ずエベレストの山頂に立つから
吉報を待っていてくれ」と言った。この日のために、1か月半以上、いや、
4年も耐え続けてきたのだ。負けてたまるかと下火になりかけていた闘志の炎が
燃え上がる瞬間でした。・・・ ・・・(つづく)
負けてたまるか。