37年前家内の中国文部省奨学金広島大学研究留学を皮切りに、
私が、その後娘と弟が、またその後弟の家族が来日し、その後
姪御、甥御たちが次々と日本留学の道を歩み出しました。
今年の4月1日、2日在日の木元家一族17人が富士山麓に集まり、桜と富士山の
競演を楽しみましたが4人が海外出張や医師の当直で欠席。
出藍の誉れ。私と家内の博士の夢ははかなく終わりましたが、15年前に姪御の金英花が
横浜大学で経済学博士号を取得しました。日本文部省奨学金で専門は国際金融でした。
先月甥御の朴青雲が名古屋大学で工学博士号を取得しました。
ヤンマーエンジニアリング奨学金で在職しながらのドクターコースでした。
わが家で盛大な青雲君博士祝賀会を開催しました。
青雲君は4歳の時に父親を亡くし、泥を嘗めるような生活を強いられましたが、
お母さんの並大抵ならぬの苦労と期待に報いるべく必死に頑張りました。
中国で大学卒業後すぐ日本に留学し工学修士号を取りました。
日立研究所を経てヤンマーエンジニアリングに転職し、会社の奨学金で見事に
博士号を取得しました。
すべては写真の後ろにかかっている御祖母さんのお陰様ですと青雲君に言われ、
胸がジンとしてきました。
私たち日本大家族の今日は、まったく母の先見の明によるものです。
60年近く前の中国文化大革命の最中、母が人目を恐れながら私の50音図を教えて
くれなかったら、私たちの今日には想像すら出来ないものです。
次は、筑波大学医学部を出て水戸赤十字病院で研修医終了後、筑波大学付属病院に
戻っている甥御朴天宇君に第3号博士号の期待がかかっています。