スティービー・クレオ・ダービックは言いました。

「約束が守れているとき、人は自由で輝いている」。

父が自殺したとき、弟の弘基は14歳でした。

親父の代わりにはなれないけど、弘基にはできるだけのことをしてあげようと心に決めました。

弘基が私のために、都会での就職を放棄して、田舎の故郷へ帰った時、

何が何でも弘基を必ず日本へ連れて行く決心をしました。

それから9年が経ちました。

弘基は故郷の短大で車のエンジンを教えていましたが、

「兄貴、東京で母さんを囲んで乾杯しよう」と交わした大学時代の約束とは程遠いものでした。

来日してまもなく、周りの環境と自分の学業に慣れることを待たずして、

私は姫路工業大学(現兵庫県立大学)機械学部の坂本亨教授を訪ねました。

弘基のことを一所懸命にピーアールしましたが、坂本先生はなかなか聞いてくれませんでした。

前に受け入れた中国人留学生がお金本位でアルバイトばかりしていたとのことで、

もう中国人留学生は受け入れないと宣言しました。

しかし、弘基の専門は坂本先生がぴったりです。

坂本先生は何回か中国を訪問されたことがあり、中国に興味は持っていました。

私は何回も坂本先生を訪ねては、中国のいろんな話をさせていただきました。

結局坂本先生が私のしつこさに根負けしたか、弘基に興味を持ったか、

1992年4月入学の院生として受け入れを承諾してくださいました。

私は飛び上るほどうれしかったです。

本心自分の来日より喜びました。

私は坂本先生の両手をとって感謝を申し上げました。… …