終戦の二十歳の時にシベリアに抑留され、24歳でやっと舞鶴港に

帰ってきました。酷寒の中、凍傷で両手の人差し指の一節を失いました。

毎日死んでいく戦友を見送りながら、戦争では負けても人間では負けじと

心を鬼にしながら耐えてきたそうです。

舞鶴港では岸壁の母に出会い、日本の土を踏んだ時の喜びと、戻ってこれなかった

戦友への無念で胸がいっぱいだったそうです。

このような悲劇が二度と繰り返されてはいけないと、舞鶴引上げ記念館の発起人となり、

多大な私財を投じてきました。

一昨年日本政府が舞鶴記念館資料室をユネスコに申請する世界記憶遺産として認定しました。

90歳の高齢をものともせず、アコーディオンを弾きながら歌を熱唱する田中唯介先生の目は

輝いていました。