中国では酒の席上でよく罰酒(懲罰の酒?)を強要したり敬酒(敬いの酒?)を勧めたりします。

日本の「駆け付け三杯」という場合もありますが、じゃんけんで負けたり、悪いことをしたりするときはお酒で懲らしめるということです。

3月8日登山家の山下さんと別れて福岡行きました。大学時代の友人Yさんに逢うためです。

Yさんは大学は2年先輩で大学院は1年先輩です。

福岡のある公立大学国際教養学科の教授として講義と研究の日々を送っています。

若くして日本の大学で博士号を取り、エリートコースで吉林大学の博導教授(博士を指導できる教授)に登り詰めました。

博多駅付近の居酒屋で12年ぶりの再会をお祝い杯を重ねました。

 

お酒も話もだいぶ進んだところで私が突然罰酒を飲ますと言い出しました。

わけがわからずYさんは戸惑っていました。

実は今から31年前の1982年Yさんは優秀な成績で大学院試験に合格し、日本文部省奨学金を手にすることができました。

学費免除でその上に毎月手取り20万円をもらいながら日本の大学院で博士コースまで5年間勉強するというなんとうらやましいジャパンドリームです。

それがYさんは健康診断でパスできず結局日本へ行くことができませんでした。

Yさんは日本には行けなかったですが、母校の大学院には入れたので別に文句はなかったそうです。

 

それが私にとっては運命の分かれ目になる悲しい出来事でした。

と申しますのは、当時日本語科で日本の文部省奨学金をもらえるのは中国ひろいと言えども、北京大学に1人と吉林大学に1人の合わせて2人だけでした。

次の年に卒業する私はこの日本の奨学金を狙ってそれそこそ映画も見ず、恋愛もせず一生懸命に勉強しました。

それがYさんが日本へ行けなくなったおかげで中国の文部省が怒ってしまいました。

私が卒業する年には日本の文部省奨学金を吉林大学から上海外国語大学にまわしました。

失望のあまり、尊敬しているYさんを殴ってやりたかったです。これが罰酒の理由です。

 

それから私は顔をの表情を柔らかくして敬酒を勧めました。Yさんはまた戸惑いました。

日本へ直接行けなかったおかげで私は恋をし始め、1000kmも離れている今の奥様に結婚できました。

日本中を旅行したり、アメリカへ行ったり、エベレストに登ったりずいぶんわがままに生きてきたのも、自慢の娘に巡り合えたのも言ってみればYさんのおかげです。

 

「人間万事塞翁が馬」とありますが、まさにその通りです。

30年間の鬱憤を晴らすことができ身も心も爽やかになって、Yさんとの別れを惜しみながらホテルに戻りました。