孔子は言いました。

「良心に照らして少しもやましいことがなければ何を悩むことがあろうか。

何を恐れることがあろうか」。

1970年代、中国の農村では「大寨村に学ぶ」運動の真っただ中でした。

いわゆる、革命思想をよくすれば穀物の収穫量が上がるということです。

仕事は油を売っても口だけ達者なものはよい報酬が得られ、

反対に仕事がよくできても無口な人は思想評価が落ち、低い報酬になってしまます。

そうすると、まじめな人たちは労働意欲を失い、精一杯働こうとしません。

私がいた第2生産隊はその典型でした。

いろんな批判会、闘争会は村一でしたが、穀物収穫量はいつもびりでした。

その政治主導のリーダーの3人組が第2生産隊のすべてを牛耳っていました。

我が家は父がキリスト教の長老で、母が資産家の娘ということだけで、

ゆゆしい歴史問題がある家庭のレッテルを貼られました。

このレッテルが父を苦しめ、母を苦しめ、姉を苦しめ、私を苦しめましたが、

私は3年だけはどんなことがあろうとも我慢して耐えることにしました。

地元の推薦がないと大学へはいけないからです。

他人より早く起きることも、他人より遅くまで起きていることも、

他人より倍以上働くことも苦になりませんでした。

他人より毛沢東の語録を暗記することも、

他人よりマルクスレーニンの著作を読むことも、

他人より立派な感想文を書くことも苦になりませんでした。

同年代の若者のリーダーとなって

「第2生産隊の貧しさを変えよう」というスローガンを打ち出し、

昼となく夜となく働きました。

草が穀物より勢い良かった田畑が逆転し、豊作の秋を迎えました。

一日の工賃も一気に0.8元/12円になり、第2生産隊の社員は大喜びです。

我が家も姉と二人で880元/13,200円あった借金を200元ほど減らすことが出来ました。

しかし、これがまた3人組の逆鱗に触れることになりました。

泣き面にハチというか,弱りめにたたりめというか、

この大変な時期に我が家を揺るがす大事件が起きました。(つづく)